歴史
当社は1951年7月、日本で初めてのミニチュアベアリング専業メーカーとして東京都板橋区に誕生しました。 創業以来58社(2024年8月末現在)との経営統合を経て、ボールベアリングからモーター、センサー、アクセス製品、 半導体に至るまで、世界でも類をみないユニークな事業ポートフォリオを持つ「相合」精密部品メーカーへと成長しました。 私たちはオーガニック成長とM&Aに加え、社会的課題の解決に貢献する製品開発で成長を続け、世界のものづくりと 人々の暮らしをお支えする新しい価値の創造に取り組んでいきます。
1950年代~ 創業期
日本初のミニチュアボールベアリング専用メーカーとして誕生
当社は、1951年7月の創業以来、高品質、低価格を追求してきました。
1964年、最新の機械設備を導入した軽井沢工場を設立。
さらに、海外の技術者から指導を受けたことで、技術レベルが劇的に向上しました。
海外への輸出も増加し売上が拡大したことで、軽井沢工場に次々と新鋭の機械を導入し、「超精密加工技術」、「大量生産技術」の基礎を築きました。
1970年代~ 多角化
海外進出と多角化で事業領域を拡大
米国REED工場
(現NHBBチャッツワース工場)
ベアリングが将来なくなるかもしれないという危機感から、1973年にモーター事業を開始し、1980年代には半導体事業や電子機器部品事業へ進出しました。1971年には米国REED工場を買収し、海外生産を開始。1972年にはシンガポール、1980年にはタイで自社工場の海外生産も開始しました。国内外のM&Aも積極的に実施し、技術者獲得や生産能力増強を実現した一方で、インテリア、化粧品、着物・宝飾品の訪問販売、養豚など製造業以外の事業を展開し、企業規模を拡大していきました。
1990年代~ 製造業への回帰
事業の選択と集中を進め、経営をスリム化
1990年代に入ると多角化のマイナス要因が膨らみ始めたため、製造業と関連が薄い事業の整理を進めるとともにベアリングや電子機器といった本業に経営資源を集中し、収益力の回復をはかりました。 中国・上海でボールベアリングの一貫生産をスタート。高精度なHDD用部品の生産を本格化するなど、「超精密加工技術」「垂直統合生産」をさらに磨き上げました。
2000年代~ 「相合」精密部品メーカーへ
シナジーを追求し、会社としての強さを確固たるものに
2000年代に入り、世の中の技術の変化はより一層激しさを増し、IoTが当たり前になる時代がやってきました。当社はカンボジアやスロバキアなど生産拠点のさらなる拡充につとめるとともに、M&Aを加速。2009年に貝沼会長が社長に就任後、28件のM&Aをおこない、2017年にはミツミ電機と経営統合し、社名を「ミネベアミツミ株式会社」に変更しました。
2000年代はリーマンショックや米中貿易摩擦などの金融危機、東日本大震災、タイ洪水、新型コロナウイルスの感染拡大などさまざまな災害が世界を襲いましたが、当社の多角的な事業ポートフォリオの構築とリスク分散体制が強みを発揮し、逆境を力強く乗り越え、「相合」精密部品メーカーとして成長を続けています。